38前ページ 次ページ



写真

伝言
日誌

自伝

LINK

メール
























 私の住宅事情(6) TOP
since 2000.9




  娘の産まれた年の夏に引っ越しをした。毎回出していた公団の抽選が当た 
 ったのである。倍率は2000倍だった。宝くじを始め様々な抽選ではいつ 
 も外れていたから、当選する人がどこかにいるはずだとわかっていても自分 
 とは無関係だと思っていた。住宅公団の抽選は10回外れると当選率が高く 
 なるやり方だった。外れハガキを集めるつもりで応募したのが当選したので 
 ある。 
  
  「ちゃんと自分の育つ場所を作ったんだ」と妻は言った。娘が当選させた 
 ような口振りである。これ以後こんな僥倖はめぐってこない。私はここで一 
 生分の運を使い果たしたのであろう。もっとも、全くそういうことがない人 
 もいるはずだから、1度当たっただけでも上出来といえる。 
  
  動物のことを考えてみる。脊椎動物の鳥類哺乳類の場合、巣(家)とは子 
 どもを育てるためのもので、親のためのものではない。ヒトは哺乳類の中で 
 も成熟期間がきわめて長く、子どもが成長する環境として住まいの条件を考 
 えるのが第一である。そう意識したわけではないが、この基本は私の住宅事 
 情にも保持された。 
  
  引っ越し先は昭和30年代建設の団地で当時は文化住宅などと呼ばれ、換 
 気扇が付いているとか風呂場があるとか、最先端の居住環境を誇っていた。 
 だが20数年もたつとさすがに狭かった。物質的な経済繁栄に居住空間が追 
 いつかなかったのである。 
  
  私が当選したのはテラスハウスで、2階建てのユニットが5軒続いている 
 長屋のような棟だった。小さな庭が各所帯にあり、半間とはいえ玄関もつい 
 ていた。下が4畳半と1畳半ほどの台所、上が3畳と6畳の3Kだった。3 
 畳を私の書斎にして、6畳が寝室と娘の机、下の4畳半は居間になった。庭 
 には物置とバイクと自転車を置いたらそれでもう一杯になる。 
  
  団地内の道路は舗装されていないところも多く、降雪があると純白の絨毯 
 を敷きつめたようだった。きれいなのは良かったが靴底にはぬれた泥が積み 
 上がる。各棟の間隔が広く緑害といわれるほど樹木が多かった。 
  
  ここで娘は幼稚園小学校中学校と子供時代のほとんどを過ごした。すべて 
 公立で安上がりに済んだ。自然に囲まれたいい環境だったとは思う。窓は木 
 枠にパテでガラスが押さえてあり、木のやさしい感じがして悪くなかったが、 
 冬寒く夏暑い。冷暖房は石油ストーブとホットカーペット、後は自然の風を 
 入れるだけだった。 
  
  電力の許容量が小さく、配線し直さないと熱交換の電気用品はすぐに限界 
 が来るのである。建設当初電気釜は想定しても、クーラーを初めとして様々 
 な家電用品がこれほど増えるとは予定外のことだったろう。 
  
  私にしても、ここに住んでいたときだけ本を買い込んで本棚を一杯にする 
 ことができた。通勤通学には少し不便だった。夜間高校で勤務を終えるとも 
 うバスがない。初めて新車を購入した。しかし日中は渋滞で時間がかかる。 
 休日に買い物に行くと駐車場に入れない。便利なのは荷物を運ぶことぐらい 
 である。月々の駐車場料金、車検代と費用がかさみ、手放すことになる。代 
 わりにバイクで移動した。暖かい時季は風を受けて心地良かったが、寒くな 
 りそれも深夜になって雨が降っていたりするとなかなか辛いものがあった。 
  
  家賃は徐々に上がったが、5万円台で場所と居住条件を考えると優遇され 
 ていた。私は相変わらず昼夜、大学と勤務先を独楽鼠のように往復していた。 
 妻は「母子家庭だから、、」となかば諦めていた。子育ての傍ら、結婚前の 
 夢だった少女マンガ家を目指し、投稿入選した。2作ほど商業誌に掲載され 
 る。その後アニメの彩色の仕事を移った。これはテレビで放映された。セル 
 画に色を埋めていく内職作業である。 
  
  親がそれぞれ自分のことをやっていたので、娘は勝手に育ったようなもの 
 である。小学校の時は、下駄箱が倒れてきて顔に餅焼き網のようなあとがつ 
 いたり、追いかけられて交通事故にあったりしていたが、「いじめは学校生 
 活のスパイスだ」などとうそぶく不適な輩となった。見上げたもので、私に 
 不満はない。 
  
  この団地にいつまでも住んでいたかった。だが老朽化が進み建て替えるこ 
 とになった。バブル経済最盛期の頃で、建て替え後の最終家賃は3倍以上に 
 なる。引っ越すことを検討したが、娘は中学を途中で転校したくないと言う。 
 中学生の娘の机をいつまでも寝室に置いておくわけにもいかない。妻のアル 
 バイトが家計の助けに少しはなるが、基本は私一人の教員給料だから、とて 
 も近くに家を買う余裕はない。 
  
  そもそも私も妻もずっと間借り生活をしてきたので、自分の家を持つとい 
 うことがどういうことだか実感としてわからない。高家賃を覚悟で新築の団 
 地に住むことになるんだと思っていた。それがひょんなことから中古の物件 
 を購入することになった。それが現在の住まいである。私に持ち家の感慨は 
 ない。引っ越して来た当時は軒と軒が隣り合う息苦しさに庭と呼べる空間の 
 あった公団のテラスハウスが懐かしかった。 
  
  すずらんの華やぎもある狭き庭
 三鷹市新川
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 
 初出:FLH 2000.2・3月号 
…………………………………………………………………………………………… 
 あとがき:この団地に13年間住んだことになる。新築のアパートから引っ 
 越す時に年下の同級生に手伝ってもらった。鹿児島ラサール高校の卒業生で 
 一人は医学科で少林寺拳法部の部長、もう一人は前衛パンクロックをやって 
 いた。お二人ともひとかどの人物である。将来を嘱望されたエリートだが、 
 私は年長の勤め人である。団地に荷物を入れて一段落ついたところで、引っ 
 越しバイト相場の8割ほどを包んだ。二人は中身も確かめず受けとって、帰 
 っていった。しばらくすると、決まり悪そうに戻ってきて少林寺拳法部長が 
 **さんこれはいただけません、と返しに来た。私の方が恥ずかしかった。 
 彼らは同じクラスの友人として手伝ってくれたので、バイト料目当てでない 
 と言いたかったんだと思う。失礼な事をした。パンクロッカーはその後大学 
 院まで進み今は有名校の大学教授である。もう一人は音信不通になってしま 
 ったが、きっと大病院の院長でもしているんだと思う。統率力、判断力に秀 
 でたものがあった。高偏差値の大学生はみな苦労知らずの坊ちゃんばかりで 
 はない。自分の立場をわきまえたまっとうな学生もいたことを示しておきた 
 い。 
  これで住宅事情シリーズは終わる。現在の住まいに関してはまたいずれ触 
 れる時が来るかも知れない。次回からは私のバイト歴の報告となります。 
  
─────────────────────────────────── 
 自伝シリーズ NO.38  私の住宅事情 (6)       2001.5.19 発行 
…………………………………………………………………………………………… 
 発行者:ぱーこ pahko-s@parkcity.ne.jp 
 発行所:ぱーこシティ http://www.parkcity.ne.jp/~pahko-s/ 
     バックナンバーは、ぱーこシティにあります。 
     日記シリーズの伝言日誌は毎日更新中。 
  
 配信元:『まぐまぐ』 http://www.mag2.com/ (マガジンID: 0000042938) 
  
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━